知っているようで知らないバスの世界 №1
今回からバスの知っているようで知らないことなどをお伝えしていくコーナー「知っているようで知らないバスの世界」を始めます。では、スタートしていきましょう。
1.皆さんが普通に日常生活の中で使っている「バス」、この「バス」はそもそもどのような意味なのでしょう?
バスというと、細長い直方体をイメージすると思います。しかし、昔は違いました。走り始めた頃のバスというのは乗合馬車のことであり、最初は「オムニバス」「オム二ビュス」と呼ばれていました。
「オムニバス(Omnibus)」はラテン語で、「すべての人のために」という意味です。1862年、フランスのナントで、ある公衆浴場経営者のスタニラ・ボードリーという人が、浴場と市の中心を往復する乗合馬車を運行させました。
やがて、ボードリーは乗合馬車に浴場に関係のない人が多く乗っていることに気づき、事業として乗合馬車をスタートさせました。この乗合馬車は「すべての人のための乗り物」という意味のフランス語の「オム二ビュス」と呼ばれるようになりました。
その後、乗合馬車の事業化は、パリやロンドンで始まり、「オム二ビュス」という呼び方もともに広がっていきました。その「オム二ビュス」が英語圏では短縮され「バス」と呼ばれるようになりました。
1831年にはイギリスのゴールズワージー・ガーニーという発明家が蒸気機関で動くバスを開発し、そのバスはやがてロンドンで運行されるようになって、乗合馬車に対抗していきます。その後、蒸気機関に代わる内燃機関で車道を走る公共の車が「バス」となりました。
2.では日本でいつバスが走り始めたのでしょう?
日本最古のバスがどこを走ったか? それには二つの説があります。ひとつは京都説、もうひとつは広島説です。どちらとも創業は1903年ですが、何月に創業したかによって、京都か広島か分かれています。
まず京都説、
これには確かな記録(事業免許の記録)があり、1903年9月20日に二井商会がバス事業をはじめ、堀川中立売~七条・祇園間を走らせたことがわかっています。この9月20日は、日本バス協会によって「バスの日」とされています。
この9月20日よりも早く創業した会社があったと主張するのが、広島説です。京都のような絶対根拠は残っていないませんが、残っている記録を寄せ集めると、1903年1月に広島市内の横川~可部まで、12名乗りのバスが運行していたと推測ができるといいます。そのバスは、エンジンはアメリカ製のガソリンエンジンで、車体は馬車ボディを改造したものでした。馬車の車体を使ったこともあって、当時は「馬なし馬車」とばれていたそうです。しかし、この広島でのバス事業の試みは、車両の度重なる故障と馬車業界の妨害によって、同年9月には挫折しています。
ただし、この広島でのバス事業は、確かな資料に欠け、残っている記録も日時がばらばらなので、どこまで日付が確かなのか議論の余地が残っています。
では、なぜ京都市営バスの行先表示は方向幕のままなのでしょうか?
京都市営バスが方向幕を残している理由は、行先表示に独自の色分けルールを設けているからです。京都市営バスの行先表示の場合、右側に系統番号が配置されています。系統番号の色には3種類あり、オレンジ地に白文字・青地に白文字・白地に黒文字となっていて、それぞれ、オレンジ地は市内循環で均一料金のもの、青地は京都市中心部の均一区間を走っているもの、白地は郊外を走るものという区別があります。
LEDによる行先表示は、多くが黄色(オレンジ色)の単色であるため、京都市営バスで採用されている系統色分けに対応するのが難しいからです。さらに利用者にわかりやすい表示にするために、2014年に導入されたラインカラーも、LED導入の壁となっているからです。
現行の行先表示だと、終点・経由地を書いた文字の下に、
種類の色の線が引かれている。この色は京都の町の主要な通りを表していて、
黄色:西大路通り
緑色:堀川通り
水色:河原町通り
オレンジ色:東山通り
白色:白川通り
を経由するという意味です。一度はLED車を導入似たのに2013年に方向幕に戻したのは、ラインカラーの導入を見通してのことだと考えられます。これほど複雑な配色のルールがあることを知れば、京都市営バスが方向幕にこだわる理由もわかることだと思います。
バス部門の次回更新は4月1日(土)です。お楽しみに!
次回予告「知っているようで知らないバスの世界 №2(運転士編)」
(以上 バス部門)
*おわび*
前回の更新で昨日放送された路線バスの旅Zで番組内にでてきたバスを紹介するとお伝えしましたが、昨日諸事情によって番組を見ることができず、お伝えすることができません。申し訳ありません。